週末の遺言

主に週末の遺言を書いています。

令和の時代の家事に足りていないたった一つの考え方とは?

いわゆる民間企業では、業務を効率化、省力化する事は望ましいことであると考えられている。また外部委託(アウトソーシング)などの手段を使ってリソースを本業に集中させる事は必ずしもあるべき姿とは限らないまでも、少なくとも悪いことではないだろう。

しかし家庭に目を向けるとどうだろうか。いわゆる家事については、省力化、効率化、外部委託という考え方があまり浸透していないように思う。家事は手間ひまをかけて行うものであるという考え方が根強く、省力化、効率化、外部委託をして本業(自分が本当にやりたいことや家族、友達と過ごすこと)により多くの時間を使おうという考え方があまり見られないように思う。さらにいえば、家事に省力化、効率化の考え方を持ち込むと「家庭を顧みない態度」などとみなされ、むしろ批判の対象にすらなっていないだろうか。これはマクロを使えば数分で終わるExcel作業を、丸一日の時間をかけて行うことがよしとされるような文化と同じであり、マクロを使うことがずるいとされるような文化そのものである。

考え方を変えなければならない。床掃除はルンバで十分、乾燥機を買えば洗濯物を干す必要は無い。外食や出前を使えば洗い物は発生しないし、仮に発生したとしても食洗機を使えば作業は限りなくゼロに近づけられる。(もちろん各作業の細かな部分は人が補う必要はある)

昭和から平成そして令和へ時代は変わる。昭和という時代は女性が家事を行う時代だったのであろう。平成という時代は家事を分担する時代だった。では令和はどうだろうか。令和の時代は家事を効率化、省力化、外部委託し、大切な時間を確保することに頭を使うことこそが最も必要となる時代なのである。